新人審神者、62振配布に咽び泣く



これからお話しするのは、「ある日突然、62振のイケメンに囲まれて私これからどうなっちゃうの」という話でも、「あんなに苦労して集めた刀がいきなりぞんざいに配布されて慟哭した」という話でもない。これは身バレを覚悟で告白する人生の話であり、運命の話である。

62振配布で、私の人生は変わろうとしている。



まずは審神者歴をお話ししたい。

私は歴だけは長いオタクであった。BLGLNLは嗜む程度、二次元キャラを愛でるだけの無害なオタクであった。それが、2019年の初夏に突如腐った。腐ってからは早かった。腐ったその日にpixivに投稿、はじめてのTwitterアカウントに登録し、一ヶ月後には人生初のコピー本を委託販売していた。人生何が起こるかわからないが、これほどの転身を遂げるとは自分でも思わなかった。

そんな私が審神者になったのは2020年5月4日のことである。前コンテンツに疲れを感じていたある深夜、通話していたフォロワー達が「久々に本丸を覗こうかな」と言い出した。
そういえば以前から興味はあったが、なんだかんだと手を出していなかった刀剣乱舞。はじめるなら今なのかもしれないと、軽い気持ちでダウンロードした。
時は慶長熊本の特命調査の最中であった。



さて、ここで私の半生に触れたい。
私は片田舎に生まれ、高校で古典に目覚め、国文学科を志し、和歌を愛して大学院まで進んだ、よくいる種類の文系女である。師に恵まれ、家庭環境も学問に寛容で、それなりに幸せな人生を歩む一方、どうしようもなく不幸であった。

それは私の精神の問題だった。いわゆる発達障害と、それに随伴する二次障害である。

生まれつき発達に問題がありながら、知能検査の結果が良かったため、幼少期は見過ごされてきた。しかし高校生にもなると周囲との行動の違いは歴然。徐々に精神を病み、20歳を超える頃には立派な強迫性障害になっていた。
明らかにおかしな行動を、隠していたとはいえ、よくも周囲の人は見逃してくれたと思う。
だがその幸いは、周囲の人の優しさでしかなかったのだ。

20代後半のある年、私は某研究機関でバイトをさせてもらえることとなった。その和歌研究プロジェクトリーダーにあたるA教授には、出勤したら簡単な作業をして、あとは自分の研究に専念したまえと言われ、無邪気に喜んだ。
実際にはA教授は別の大学に出勤があるため、プロジェクト管理を行うのはBさんだ。この先輩を頼るようにと紹介されたBさんは優しそうに見えた。
実際、優しい人だったのだろう。きっと。

与えられた作業は、私には全く簡単ではなかった。話し相手もいない20畳の個室、発想力よりルーティンワークの精度が問われる作業内容、厳格な時間管理。全てが苦痛だった。
強迫行為は一気に加速した。過剰に手を洗い、同じ文字を何度もなぞり、どちらの足から踏み出すべきかすらわからなくなった。
それでもBさんはまだ優しかった。作業に戻ろうとする私を引き留め、一時間も世間話をしてくれた。

決定的に関係が変わったきっかけは、Bさんの病気発覚と、私の婚約であった。人生の終わりだと嘆くBさんの心中をよそに、幸せの絶頂を謳歌しているように見えたのだと思う。
Bさんは口をきいてくれなくなった。冷ややかな目で追い返すようになった。なぜ仕事ができないのかと責めるようになった。会ってもくれなくなった。

私は仕事ができない自分を責め、Bさんに冷たくされる原因をあれこれと探し、そして病んだ。
診断名は、鬱病だった。

あれほど好きで、人生の半分を費やしてきた和歌なのに、見るだけで吐き気を催すようになった。
ベッドから起き上がれず、天井だけを見つめる日々が続いた。

結局、Bさんにパワハラを受けていたと分かったのは、泣きながら離職を申し出た私を眺めるBさんの顔を見たときだった。あれほど恐ろしいにやにや笑いをかつて見たことはなかった。
A教授はBさんの報告を受け、私の名をプロジェクトから削除した。
私は研究と和歌と、人生の目的の大半を失った。



私が寛解したのは、周囲の支えと、精神科医の適切な治療のおかげだ。新しい職場にも恵まれた。
それでも立ち直るまでに5年を要し、現在も服薬は欠かせない。研究の道を諦め、一教師として人生を終える。
それが私だった。



2015年、鬱の最中、刀剣乱舞のサービスが始まった。

2020年5月4日、刀剣乱舞をダウンロードした。

2020年6月、精神科医は大方の寛解を告げた。

2020年8月11日、62振の刀剣が受け取り箱に突っ込まれた。ものぐさな私はぎゅうぎゅう詰めの受け取り箱を二日間放置した。

2020年8月13日午前2時半、眠れなかったのでゲームを起動した。朝まで刀剣を習合するか、挨拶ラッシュも楽しみだと、軽い気持ちで受け取り箱の整理に着手した。
真っ先に挨拶してきたのは、あの慶長熊本にいた古今伝授の太刀だ。

和歌は触れなくても短歌の創作はいまだ好きだった私の初期刀は勿論歌仙兼定だ。たぶん我が本丸では夜な夜な連歌が巻かれているし、歌仙は三十一文字に込めさえすれば、下ネタだって返歌をくれる。そういう本丸に、ついに待望の古今伝授の太刀様がいらしたのだ。

私は喜んで、早速近侍に据えた。

古今伝授の太刀は、開口一番、仮名序冒頭を口ずさんだ。
雅なことだと微笑みながら戦場に送り出せば、和歌の上句で愚痴を言った。
翻る衣には崩字がおどった。
髪の先には文が結んであった。

涙が出てきた。

この太刀は、私が大好きなものでできていた。
私が失いかけた、大好きなもので。

気付けば私は咽び泣いていた。
馬鹿みたいに涙が止まらなかった。

たかがゲームの、決まった数台詞しか言わない、jpegが、愛しくて愛しくてたまらなかった。

きっと今日でなければいけなかったのだ。

サービス開始当初でも、初心者審神者の頃でもなく、精神が安定していた今日、古今伝授の太刀は私のところに来てくれたのだ。

私は決めた。
もう一度、和歌に向き合う。
いじめだとか、障害だとか、鬱とか、
そんなことで大好きなものを捨てるなんて勿体ない。
まだ研究には戻れないかもしれない。
学会に行ったら吐くかもしれない。
でも、向き合うと決めた。
大好きなものを諦めないために。

古今伝授の太刀が、もう一度私に大好きなものを思い出させてくれたことに、報いるために。



62振配布で、人生が変わった話。